急に寒くなってまいりました。
そんな12月の購入予定。
でも今月は特に無しかな。
プレイ動画を見てもプレイヤーにイマイチ何をさせたいのかよくわからない『ドラゴンクエスト トレジャーズ』と、PSP版をさんざんやった『クライシス コア -ファイナルファンタジーVII-リユニオン』はまたいつか機会があれば。
それより先月からプレイしている『ペルソナ5 ロイヤル』がなかなか終わりませんで。
無印の方はプレイしていたので長いゲームだとはわかっていたが、まぁそれにしてもエグいボリューム。30時間プレイしてもまだピラミッド(フタバ・パレス)をクリアした所なんで、半分も行ってないですね。
なんとか今年中にクリアしたい所。
あと今日配信された、『アーケードアーカイブス テトリス ザ・グランドマスター』ね。買いましたよ。最高。
テトリスで遊ぶのが久々すぎる上に、20Gの操作感を思い出す所からのスタートなので、クリアまでの道のりが遠い。
当時アーケードでプレイしていた頃は、結構な確率でカンストまで行けたんですけどね。まぁそれも何年前の話だよっていう。
ここからは先月プレイしたゲームの話。
PS5『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』
いやー面白かったねー。
ゲーム的な進化としては、前作よりもゲーム本編と寄り道を上手く分離させて誘導がスムーズなっている。
前作はサブクエストとメインクエストが同時に発生し、プレイヤーにある程度選ばせるという自由度を持たせていたが、今回はよりリニアな方向に。
ゲームが進む毎に訪れる世界それぞれの初訪問時には必ずメインクエストのみ。メインをクリアした後に、そのマップが自由に探索できるという流れにより、ストーリーのテンションを落とさず、またプレイヤーが注意散漫になることなく上手い調整になっていた。
物語の方では、今回のテーマは子供の自立と、親の第二の人生の物語。
今回はクレイトスだけでなく息子のアトレウスパートまで用意されており、子供が自立する上で別の世界を体験し成長していく様が丁寧に描かれている。
私達も子供から大人へと至る中で、家族以外のコミュニティに参加し、そこでさまざまな形で他者の目を意識し、それによって自分という存在を演じ分ける事を学ぶ(これは所謂ペルソナや、平野啓一郎の著書『私とは何か』の中で、人間にコアとなる"私"はなくそれぞれの場面で演じ分けている「分人」によって構成されているというのが非常に上手い表現)。
そういった他者の視点による多面性をわかりやすい形として、クレイトスや前作で知り合った人物は少年をアトレウスと呼び、今回出会う他者はロキと呼ばせ、息子の言葉遣いや態度さえも変えて明確に表現しているのは上手い。
そして、構成の上手さに唸ったのがフェンリルの扱い。
そもそも元の北欧神話でのフェンリルは、ロキとアングルボザ(本作では途中で登場する女の子)との間に産まれた狼であるが、それをベースとして無理なくゲームに絡める形でフェンリルが描かれている。
本作の序盤でロキが大切に飼っていた狼フェンリルが亡くなる(この時点でフェンリルはただの狼の名前であって、いわゆる神性のような物は薄い)。
その後、旅の中で出会った少女アングルボザがロキに魂の扱い方を教える。ただロキはその力を既に体の中に宿していたにも関わらず、彼女と出会うまでは気が付かなかったという部分が示唆的になっている。
ロキが異性との出会いによって魂の扱い方、内部にあるその力を知ったからこそ復活させることが出来たフェンリル。
北欧神話の物語をベースにした上で、メタファーを見事に物語の中に溶け込ませてあり、これは上手いと唸ってしまった。
そして、物語でもう一人重要なのが親であるクレイトスの子離れ。
ギリシャでの戦い、そして前作での旅を経て、戦いの神である事に疲れていた彼が獲得する新たな予言。それがラストの1シーンで描かれる。
このシーンは本作でも登場する北欧神話の忘れられた軍神テュールとの対比となっており、結局神という存在は人間などからの信仰の深さによってアイデンティティを得ている。
シングルファザーとして精神の支柱を失いつつある中年男性が第二の人生の目標を得る瞬間。まさかクレイトスさんまでミッドライフクライシスの話に至るとは。
これまでのシリーズで延々と描かれてきた喪失と怒りの物語が、ここに来て新たなステージへと昇華した瞬間。
もう胸いっぱいですよ。涙ぐんでしまった。
いやーそれにしても素晴らしいゲームでした。
今年プレイしたなかでもトップだし、私がこれまで30年以上ゲームを遊んできた中でもオールタイムベストとして上位に入るゲームです。最高のゲームをありがとうございました。
それでは、その他のお家エンタメ。まずは本。
ダグラス・マレー(著)『大衆の狂気』
本書の帯に「行き過ぎた多様性尊重は社会をどう破壊したのか」とあるように、近年一部極端な人たちの主張によって加速した新たなイデオロギーによって、どれだけ多くの混乱と分断を生み出したのかを問う一冊。
本書では大きく「ゲイ」「女性」「人種」「トランスジェンダー」の4つの事柄について、これらのいわばマイノリティの主張が近年どれだけ歪んできたかが書かれている。
これらのテーマの中で著者が共通のテーマとしているのが、ハードウェアとソフトウェアの問題。
ここでのハードウェアは生まれつきのもの、もしくは生物学的に確認されている事実を指し、ソフトウェアは社会的なシステムや偏見などを指している。
例えば冒頭のゲイの項目では、近年多くの当事者が語ることによって広く周知された事として、同性愛は生まれつきのものであって、人間の性的指向・性自認はグラデーションであるという価値観。
こういった主張により、同性愛や性自認への理解が進んだことは良かった。
ただ、その過程において社会的な価値観や触れる人物、家庭環境などにおいて後天的に変化していく性的指向の可能性がないがしろにされていく。
同性愛や性自認は生まれつきのハードウェアの仕様であるから絶対に差別をしてはいけないという価値観を盾にしすぎてしまった結果、後天的な可能性が排除された。
その結果、同性愛関連の事柄で今一番差別をされているのは、同性愛から異性愛者へと変化したいと思う当事者や、彼らを見るカウンセラーや精神科医になってしまった。
同性愛は個性なのだから転向させるなんてとんでもない。ゲイやレズビアンは矯正しなければいけないような病や障害なのか。そういった言説により攻撃される。
しかし、私達は生まれながらのハードウェアの問題でさえ専門家や医師に相談をしたり、また外部的な手段によりそのハードウェアの問題を解決する事は多くある。
性格というものは幼児期から大人に至るまで常に変化していくが、そもそも遺伝子によってセロトニンなど神経伝達物質の分泌量が決まっているので、ある程度の傾向は人によって生まれつき違う。
それでも自分の性格を直したいと願う人がカウンセラーに相談し、場合によって専門医から処方された薬を飲むことは人から叩かれることだろうか。
また、自分の容姿にコンプレックスがある人が、整形をすることは悪なのか。
もちろんこれらは、現代社会・資本主義社会において有利とされる性格があるという事実があるので、これを是正する為には各人の性格特性による影響が少ない社会へと変化させる必要はある。
行き過ぎたルッキズムはもちろん悪であろうが、整形を否定する人は現代において多くはないし、そもそも自分の体をどう変化させるかの自由は個人にある。
要は人間社会における全ての問題はハードウェアとソフトウェアの両方が関係しているわけで、要素をどちらかの一つを原因とする主張によって歪みが生じてしまっている。
一部のフェミニストは、男女に大きな違いはなく社会的によって生み出された偏見と差別によって女性が低い地位にあると主張する。要はソフトウェアの問題だと。
その結果、元男性のトランスジェンダー女性が女子競技の表彰台に登り、元男性が女性格闘家をフルボッコにしている。
スポーツが男子と女子にわけられていたのは社会的な抑圧や差別のせいだったのだろうか。
人種差別もソフトウェアの問題と主張された事による弊害。
舞台や映画などで、人種に偏りの無い配役をするべきだという主張。
ただ逆に、描かれた人物設定に人種や国が設定されているのであれば、そのルーツを持つべき役者が演じるべきという主張は上記と矛盾しないだろうか。
そもそもハイカルチャー・サブカルチャーから食文化など全ての文化というもののは、さまざまな社会の壁を壊す役割を大きく果たすものであったのに、文化の盗用という言葉によって新たな壁を作る意味とは。
ハードウェア、ソフトウェア両面での差別撤廃が重要だったはずなのに、極端な主張によりそれぞれの問題を単純化したことによって生まれる混乱。
人は生まれ持った特徴だけでなく、社会で育まれる中で獲得する個性と同じように、複雑な性や性向があり、人種や生物もそれぞれ違うと主張していたのはマイノリティの人々であったのに、主張を単純化し、それを理解できないわからず屋を叩きのめす武器として使用した途端、主張が歪み、社会システムも歪みつつある。
その怒りは過去の人物にまで向かい、キャンセルカルチャーと呼ばれる歴史の見直しまで行われている。さまざまな立場の人間がその当時の価値観で戦ってきたからこそ現在があるのに、現在の価値観で過去が断罪される。
現在正解とされている振る舞いは誰が決めているのか。いつの間にか正解の振る舞いがある一部のコミュニティの中で決定され、急にその価値観に従えと言われるが、そのルールとタイミングはいつ誰が決めたのか。
そもそも人同士の振る舞いに正解などあるのだろうか。
全ての言動がデジタルタトゥーとして残る世界において、今正解とされる振る舞いをしていたとしても、数年後の世界によって断罪される可能性の怖さ。
最近では米フロリダ州知事ロン・デサンティスが政策として出した「STOP W.O.K.E. ACT」(W.O.K.Eは白人男性への逆差別を違法とする政策の頭文字を取った言葉だが、そもそもWokeが目覚めた人を現し、StayWoke(目を逸らすな)のスローガンに発展。この政策ではWokeをポリコレに毒された人間を揶揄している)に見られるように、行き過ぎた主張が反感を買い、バックラッシュを呼ぶ結果になってしまっている。
(もちろんアファーマティブアクションとして振り子を作りつつ是正するという手段はあるにはあるが)
もちろんこれらの影響は、SNSの登場によって加速した現象の一つ。
どこまで問題を単純化できるかという部分がバズる要素となり、物事を単純化した上で扇情的で短く強いワードを出せる能力が頭の良さとされてしまった。本当は真逆なのにね。
その単純化によって一番忘れられているのは、コミュニケーションの主導権は受け手にあるということ。
それが近年、「私がどう感じたのか」という部分が強調されるようになり、その主張による歪みが大きくなってきている。
もちろん、「なんでもかんでも被害者面するな」と言われたり、明確な悪意があるにも関わらず「誤解を与えた」などという声とは戦わなければいけない。
「綿で怪我をする」といったのは太宰治だが、それぐらいに人間の心は繊細で複雑に出来ている。
こういった人々が自分がどう感じたのかを言葉にし、それを社会に対して声をあげたことによって多くの偏見が可視化されたのは大きな進展でもある。
それでも受け手の曲解や誤解、レジリエンスを考慮せず、相手の言動をノーガードで受け、すぐに身構え攻撃をするのは無しじゃねっていうことですよ。
多様性重視や社会的公正に向かうべきというゴールは誰もが向かうべき一つの目標であったのに、なぜここまで細かな分断が生まれているのかを整理してみるには面白い一冊。
ただ本書で1点気になるのが、何度か著者が本書がテーマにしている事柄について、すでにマイノリティは平等を勝ち取ったのに更に主張しているというような書き方をしている点。(ちなみに著者もゲイの当事者ではある)
男女格差や性的マイノリティーの差別はまだまだ根強く残っており、その根本の事実誤認があるので土台がブレてしまっている。
それでも特にリベラルを自認する人は一読してみると良いかと思います。
まぁ議論の中で、一部の過激な主張をするアレな人が混ざると導き出される結論が劣化するという現象は、元も子もない本を書いてベストセラーを連発している橘玲の新刊『バカと無知』にも詳しいのでそちらもぜひ(本屋行くとメッチャ平積みになってますよ)。
ただ、橘玲の著書を喜々として紹介することもまたバカであるというトラップがあるので、ぜひそこに引っかからないように用法用量を守ってご使用ください。
あと一冊。こちらはミステリー。
荒木あかね(著)『此の世の果ての殺人』
二ヶ月後に小惑星が九州の熊本に落下し、周辺が焦土と化すだけでなく、舞い上がる塵によって気候変動が起き地球全体が滅亡する事が確実になった世界。
主人公である23歳の福岡在住の女性は、その世界の中で自動車学校に通う。
ゴーストタウンとなった町の中、同じく変わり者である教習所の教官と共に毎日技能実習をしていたある朝、二人は教習車のトランクの中に女性の他殺体を発見する。
近年大量に(本当に大量に)出版されている特殊設定ミステリの一つで、本作は終末世界とのマッシュアップ。
本作で特徴的なのが、終わる世界の中でのサバイバル部分をコアとせず、主人公はある程度の食料と住む場所(安全)は確保された上で、確実に死ぬ場所に住む続けているという諦観を持って過ごしている。
そんな主人公が日常を崩さずに教官と二人で殺人の捜査をするという変な空気感が面白い。
もちろんミステリー作品なので、誰がどうやって殺したのかという部分が大きな謎ではあるのだが、それに加えてもう一つ謎なのが、そもそも主人公の女性はなぜ教習所に通っていたのか。
世界が終わるとの発表があった日から、街では一通りの凶悪犯罪が横行し、隕石の落下地点から少しでも離れようと避難する人々はその街を去り、また絶望する人達の間では山で自殺し自然に還ろうとするムーブが流行する世界。
もう無免許運転を取り締まる人すら居ない世界で彼女は免許を取って何処へ向かうのか。なぜそこへ向かわねばならないのか。
本書は終盤でその謎に向かって見事にフォーカスが移っていき、それがとても良い読後感と共に強い寂寥感を生み出している。
まぁただ一つ欠点として、ミステリとしては、そもそも犯人も含めたオチが簡単すぎるという問題はある。
それは読者に対してフェアであろうとし過ぎた結果なのか、小説の流れとして違和感のあるセリフや描写がそのまま伏線やトリックに繋がる作りになってしまっている。「マジメか!」とツッコミんで終わる程度のもので、本書の面白さを損なうほどのものではないが。
しかし著者はこれがデビュー作で、今年の江戸川乱歩賞を23歳という最年少で受賞と。
サバイバル下での人間や社会の多面性から滲み出る苦味だけでなく、複雑な滋味すら感じさせるラストへの持って行き方やバランス感覚の鋭さは、今後ミステリだけではなく他ジャンルでも活躍していく作家になりそうな気がします。
凄い新人さんが出て来ましたね。次回作が楽しみ。
ここからは映像関連
怒りが抑えられない男性と、被害妄想に悩まされる女性。
二人は同じ精神科に通い、同じマンションの隣同士に住む住人。
トラブルメーカーの二人が出会って、二人でトラブルを起こしつつ、また周囲を巻き込みつつ、それぞれの過去に向き合って新たな人生を切り開いていくラブコメ。
韓国ドラマって序盤は意図的にアクの強いキャラを出して視聴者の興味をそそるという構成が多く、回が進む毎にそのエグみが取れていき、結局最後は登場人物全員好きなるみたいなパターンが多い。(最もその落差を感じたのが『椿の花咲く頃』。傑作です)
で、本作も序盤はギャーギャー騒がしいドラマで、結構強めなキャラで来たなと思いつつ見てたら、最終回までその印象で終わって笑った。
ずーっと「なんじゃコイツら」と思いながらも、何故か愛着が湧いて見続けてしまうという不思議な作品。
この変なテイストのまま最後まで完走する脚本の地肩の強さは凄い。
Netflix『ONI ~ 神々山のおなり』
監督は元ピクサーの堤大介、脚本は岡田麿里のタッグで作られたCGアニメ作品。
妖怪が住む山の中で育った主人公の少女。
妖怪たちが通う学校で、クラスメイトがそれぞれの能力を開花させていくなか、何も能力が発芽しない主人公。
いくら努力しても何も出来ない空回りな状況の中、その山に鬼と呼ばれる外部からの侵略が始まる。
はっきり言って大して面白い作品ではないし、キャラクタも物語も全てを反転させるだけのベタな展開しかないので、物語の味わいとしては薄い。
ただテーマの一つでもある、山に住む彼らが恐れる鬼という存在を、元々日本の民話などの中で"鬼"と呼ばれる者の曖昧さに絡め、それを現代的なテーマに添わせて物語を作ってるのは上手いと関心した。
一つ気になったのが、一応この作品はCGアニメなのだが、ストップモーションアニメ的な演出がされている。
フェルトのようなキャラの質感と低いフレームレートによってストップモーションアニメ感を出しているのだが、ディテールのCGっぽさが抜けておらず、結局スペック不足のPCでカクカクの映像を動かしているような印象を持ってしまった。
でもこの辺りはゲームを普段やるかどうかによって見え方がまったく違ってくるかもしれんね。
ピクサーなどのCGアニメ作品でも、フレーム補間が入ったヌルヌルの映像とか映画好きな人は嫌うけれど(ソープオペラ効果)、ゲーマーの場合はfpsが高い方が見慣れているので自然に感じる的な。
この辺り人間の感じ方って複雑で難しいですね。
最後に音楽。
Aethral - All About The Rush
先月、運転中に最もかけた曲。
ドロップの入り方でもうアゲまくってるのに、1分54秒辺りからの展開でもうダメ。気持ち良すぎる。一般道で両手上げてハンズオフする所ですよ。危ない危ない。
Ray_Oh - 3:00 AM (S2i8 Remix)
Ray_Ohのアルバム『Clown Crown』からの一曲。
このアルバム自体Ray_Ohお得意のKawaii系を集めたアルバムになっているのですが、S2i8リミックスで急にゴリッゴリのサウンド。最高です。
S2i8から一曲。
S2i8 - GO RAVE
ドンクを聴いてると脳の奥をズンズングイグイされて細かい事がどうでも良くなるような感覚になってきます。それがクセになってたまに聴きたくなる。
you - ChibiHop
kamome sano - I/O
Lilium recordsのコンピ『Lilium XX』からの2曲。
年末に向けて散らかった部屋を整理する最中によく聴きました。
どちらもある種のflowを生み出すような曲で、作業中の疲労感の軽減にちょうどよいです。
こんな感じで今月はおしまい。
次回は毎年年末に更新している2022年のゲームを振り返りの予定です。
それではまた年末。