月刊 追い焚き作業

見て聴いて読んで遊んだ記録です

2024年11月の購入予定と10月の話 『CoD: BO6』『文藝 2024年冬季号』『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』『親愛なる八本脚の友だち』『口に関するアンケート』『機動戦士ガンダム 復讐のレクイエム』『それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ』

やっと肌寒くなってきました。さすがにもうTシャツと短パンはしまっていいんですかね。

 

そんな11月の購入予定です。

14日

PS5『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…

言わずと知れた超有名RPGのリメイク。

今回はHD-2Dのリメイクとなっていて、かなり映像的に違う雰囲気になってますね。戦闘画面で表示されるフィールドが広すぎて、主人公とモンスターが対峙している様が殺風景過ぎてちょっとシュールですけど。

ゲームシステム部分もかなり手の入った作りになっているようで楽しみ。

 

今月はこの1本かな。

『野狗子: Slitterhead』はちょっと気になるリスト行き。

 

 

それでは先月プレイしたゲームの話。

XBOXCall of Duty: Black Ops 6』

キャンペーンモードは一応クリア。

今回は、とにかくなんでも詰め込みましたってな感じのキャンペーンモードで笑った。

往年のCoDらしいリニアな展開があったと思えば、アドベンチャーゲームのような会話メインのパートに、ステルスも出来る潜入ミッション。

それに加え、広いフィールドで『Far Cry』的な遊びをさせるタイニーなオープンワールドが来たかと思えば、ゾンビやモンスターが出てきたり、キレッキレのホラー演出が出てくるミッションまでマジで盛りだくさん。

こんだけ入れときゃ、ユーザーはどれかは好きなミッションがあるだろってな節操の無さは凄いなぁ。本作のマルチ(対戦やゾンビ)や『WARZONE』の要素を再構築したとしても、ここまでメチャクチャなコストのかけ方をするのは、やっぱデカいシリーズだけありますね。

 

ストーリー的には90年の湾岸戦争から浮上した、イラクが持っているとされた大量破壊兵器を巡る物語。

ブラックオプスシリーズは陰謀論の塊のようなゲームなので、その界隈ではお馴染みである州知事時代のビル・クリントン出てきたり、なんだかんだこじつけてフセインの邸宅に入ってめちゃくちゃやらかしたりと楽しめました。

若干、シングルFPSとしては大人しめというかストーリーに比重がかかり過ぎてるかなとは思いましたけどね。

 

で、マルチの方もちょこちょこと遊んでます。(主にドミネかハードポイントを)

ただ全方位にダッシュできるオムニムーブメントにいまだに慣れないんだよなぁ。

リロードする際など、斜め前方にある背の低い遮蔽物の裏に行こうと横移動しつつしゃがむと、そのまま横スライディングして反対側に体出しちゃうというショボいムーブを何回もやっております。

自動ダッシュの設定しているから左スティック倒したらすぐダッシュしてまうのだけど、横にダッシュする感覚が今までにないので全然慣れない。

 

移動がスピーディかつキャラコンの面白さがあるので、操作の忙しさや全体的にテンポが早くて楽しいですね。

その分めっちゃ疲れる。なんでもかんでも年齢のせいにはしたくないけれど、ここまで忙しいゲームはもう疲れちゃうなー。それがとても悲しい。

 

 

ここからは、その他のお家エンタメ。まずは本。

『文藝 2024年冬季号』

今年も文藝賞が発表される季節となりました。

受賞したのは、松田いりの『ハイパーたいくつ』と待川匙『光のそこで白くねむる』の2作。

 

松田いりの『ハイパーたいくつ』

生きることに強いモチベーションを感じない主人公。それでもなんとか社会に紛れて生活していたのだが、ある日仕事で結構なミスをしてしまった。しかし、そんなミスをかばってくれた上司。

その二人の関係から徐々に現実が崩壊していき、果てに夢か現かわからなくなる物語。

序盤はいわゆる文藝賞を狙っている感がある文体でちょっと引いてしまったが、中盤からの現実が壊れていく所からがすこぶる面白い。

読んでて脳に強い重力がかかるかのような、ぐんにょりした感覚がよかった。

 

待川匙『光のそこで白くねむる』

神社の参道にある土産物屋でバイトしてたら、そこのオーナーが事件を起こして閉店。詫び料としてちょっとまとまったお金をゲットしたので、久々に故郷に帰って祖母の墓参りへ行こうとする話。

その道すがら、戻って来る小さな頃の記憶。

私を「加害者」と呼んだ祖母。失踪した父。先生と呼んでいた大人。

そして一緒に遊んでいた年下の子キイちゃん。

次々と蘇る記憶の中、脳内で語りかけてくるキイちゃんと対話しながら、昔ここで何があったのか。曖昧な記憶が掘り起こされる。

 

彼岸と此岸、加害者と被害者、それぞれ対極に居るはずなのに、それぞれがないまぜになっていく記憶。

私はどういう人間だったのかが徐々にわからなくなり、だんだんと足元が削れ剥がれていく感覚。

純文学というジャンルではあるものの、本作を私はホラー小説だと捉えました。死と恐怖の匂いが強すぎる。

 

今年の文藝賞どちらも面白かったが、それでも特に待川匙『光のそこで白くねむる』は凄いね。いやぁこの衝撃は久々。

近年の受賞者だと、日比野コレコ、安藤ホセ以来の早く次が読みたいって強く願ってしまう作家でした。今後も長く書き続けてほしい。純文学だけでなくガッツリとしたエンタメ系も書ける方だと思います。今後の活躍を期待しています。

 

ちなみに今号の文藝は『ゲームをせんとや生まれけむ』として、ゲーム関連の特集。ゲーム評論から、ゲーム(カードゲームやテレビゲームなど)を題材とした小説が掲載されていて良い。

またその他、掲載されている中編小説、紗倉まな『ガールズ・ファイト』は会員制ジムのシャワー室争奪戦から始まる女性たちのカオスが面白くて、大変おもしろく読ませていただきました。

紗倉まなの小説はいくつか読んでいるけど、どれも題材の選び方が上手い。そんなところにフォーカスするのかという驚きがある。

 

 

三砂ちづる(著)『頭上運搬を追って 失われゆく身体技法』

現在でも東南アジアやアフリカの映像を見ると、頭の上に大きな荷物を乗っけて歩いている女性を見るが、かつては日本各地でもその運搬方法が行われていた。その歴史を追う一冊。

そもそも、この技術がどうやって生まれ、どういった形で継承されていったのかがわからないというポイントが面白い。

若い頃に頭上運搬をやっていたという女性たちにインタビューしても、その方法を教えてもらったことはないし、誰もが親世代がやっているのを真似している間に出来るようになるらしい。

 

自分の体重以上の物を乗せて歩く、それこそ手で持って歩くことすら出来ないような荷物をなぜ頭に乗せて歩けるのかという疑問も湧く。

しかし手で持ち上げているのはなく、頭に乗っけているだけなので、持つというよりも自分の体重が重くなるという感覚だそうで。納得出来るような、でも想像がつかないような不思議な技術ではある。

 

日本でも残っていた頭上運搬であるが、自転車やリヤカーなど道具の普及。もちろん自動車などのモータリゼーションや、水道の整備によって水を運ぶ必要もなくなったので徐々になくなっていた。

それでも長崎など坂が多い地域(自転車などが使いづらい地域)では、かなり最近まで残っていたというから驚く。

 

また、その頭上運搬を行っていた地域の女性たちは、老齢になっても腰が曲がらずまっすぐと立っている人が多かったそうで。

絵本やアニメの昔話で描かれるお婆さんは、腰が曲がっているイメージがあるが、それは農作業での姿勢や年齢による背骨の変形によるものに加え、重い荷物を背中に背負うということも一因らしい。

 

スッとまっすぐに立って歩く女性というのは、それだけでも美しさを感じるものだが、頭上運搬を行っていた地域では、若い女性が荷物を運ぶ姿を男性に向けてアピールする仕草(動作)としても使われていたというから微笑ましい。

今では失われてしまった身体技法の中に、当時の人の生活が垣間見えて良い本でした。

 

 

シェルビー・ヴァン・ペルト(著)『親愛なる八本脚の友だち』

水族館に居るタコの一人語りから始まるヘンテコな小説。

主人公はその水族館で清掃員として働く70代の女性。

数年前に夫を亡くし、生活に不自由はないものの、ちょっとした社会への参加とありあまる時間を消費するために水族館で働いている。

そんな彼女の大きな傷となっているのが一人息子を亡くした事。

息子が大学進学を控えたある日、海にボートで出たまま亡くなってしまった。

警察は自殺と断定していたが、彼女にはどうしても信じられなかった。何もかも知っていたつもりで居た息子に隠された別の側面。それを感じてあげられなかった後悔にずっと苛まれている。

 

物語は中盤から、聡明でありながら人生を諦めかけている元バンドマンの男性が現れることで、大きく変化していく。

息子に何があったのか。タコとの交流の中で明かされる秘密。

本作でのタコはいわゆる神の視点になっているので、タコの聡明さを物語に組み込んだ作品ではないのだが、それでも日々水族館の水槽の中から人間たちを見続けて来た日々。そして約4年というタコの短い寿命の中で生まれる悟りと諦観。

ラストには家族の再生の物語として感動が待っている。まさかタコに泣かされるとは。

 

 

背筋(著)『口に関するアンケート』

近畿地方のある場所について』で有名な背筋。

ちょい前に『穢れた聖地巡礼について』とほぼ同時に発売された本作が非常に良かった。

 

数人の大学生グループが夜中にノリで行った肝試し。

大きな木が特徴的なお墓で肝試しをやった次の日から、参加した女子学生の一人が失踪する。

その肝試しの日に何があったのかを、それぞれ個人個人にインタビュー形式で聞いていくというモキュメンタリータッチな小説。

 

ラストにこのタイトルの意味、彼らに何があったのかがわかる構成が本当に上手い。

最後まで読了した瞬間「うわー」って声出た。そしてすぐにもう一回再読しました。

何度も見返すことを前提とした最近流行りの考察系ホラーとして非常に完成度が高いですよ。

 

あと本書は電子書籍ではなく、フィジカルの方が圧倒的に良いですね。

手の平の中に収まるくらい小さい変形な判型で作られていて、ジャンルとしては豆本になるのかな?

ページ数も60数ページと薄く、この小さな本を手の平に収め視界を狭めた状態で集中して読むというのも含めた体験が本書の面白さでしょう。

近畿地方のある場所について』『穢れた聖地巡礼について』も凄いけど、ワンショットで撃ち抜かれる本書の鮮やかさには本当にやられた。

この著者は、著作のどれも洗練された怪談としての怖さがあって、まさに今の時代に出てきた語り部って感じがして良いですね。凄い才能だなぁ。

 

 

ここからは映像関連。

Netflix機動戦士ガンダム 復讐のレクイエム』

舞台は一年戦争オデッサ作戦あたりかな?。

連邦に奪われた基地奪還に向けて出陣するジオン軍の小隊が主人公。

ザクを操る小隊により作戦は成功するも、ガンダムなど連邦軍のMS投入により戦況は逆転。

そう。本作はジオン側から見た物語なのでガンダムが敵として描かれる。これがマジで怖い。まさに連邦の白い悪魔ですよ。

連邦の反転攻勢によりジオンの残存兵は宇宙へとエクソダスを始める辺りは、もう『ダンケルク』。

 

終盤、対話が出来るからこその悲劇をテーマにしているのは面白かった。これってめっちゃガンダム的なオマージュでもあり、本作ならではの描き方もされているシーンではないでしょうか。

若干キャラクタのデザインがイマイチ(のっぺりしたCGらしさが強すぎる)でもったいない気はしたんですけどね。

あとMSの描写に力を入れすぎたのか、人間同士が戦っている場面はちょっとクオリティが低いかなぁ。

まぁそれでも、面白かったです。良い。

 

 

U-NEXT『それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ

先月、菊池浩平(著)『人形メディア学講義』を読みまして。

トイ・ストーリーからゴジラ、リカちゃんなどのキャラクタから、19世紀にイギリスで流行った人形劇、日本人形から着ぐるみ、ラブドールまで人形と名のつく物をメディアとして取り扱った講義(早稲田大学だったかな)をまとめた一冊。

その中で、「最強ホラーとしてのアンパンマン」というテーマで語られるのが、2006年に公開されたこの映画。

著者は、この映画の中で見えてくるアンパンマンの抱える問題点と、人形という側面から見えるホラー要素を指摘している。

で、確かに見てみるとホラー的な捉え方も出来る作品だなと納得した。

 

それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ』は、アンパンマンが海で浮いていた人形を拾うところから物語が始まる。(以下ネタバレあります一応)

その人形を持ち帰り、キレイにしてあげると、星が降ってきて命が吹き込まれる。

人形は自身をドーリィと名乗り命を得たことに喜ぶが、とてもお転婆で自分勝手。学校に通っても同級生と協調が出来ず、結果としてみんなから爪弾きにされてしまう。

そんなドーリィがアンパンマンの生き様(例の如くバイキンマンと戦う)を見て改心。命を賭してアンパンマンを救った結果、人形としての生は終えるが、もう一度星がドーリィに降ってきて人間として生まれ変わるというお話。

 

で、これはカルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』をベースにしたお話であることは間違いないでしょう。

その人形が人間になるという物語だけでなく、『ピノッキオの冒険』に含まれた社会への批判というものが、このアンパンマン映画を見る補助線となる。

 

ピノッキオの冒険』が書かれた19世紀のイタリアでは、学校教育が本格的に行われはじめ、人々に「国民」という自覚を与えるために人間の平準化が行われはじめる。

無知で自分勝手になりがちであるが、自由であった子どもたちが、規範と統制によって横並びになっていく。

ピノッキオの冒険』は因果応報、悪いことをすると悪いことが降りかかり、良いことをすると良いことが返ってくるという道徳的な物語。

しかし、それらのバカげた行いは過剰さによって喜劇として成立しており、本作が決して道徳心を育てるためだけに作られた物語ではないという読み取り方も出来る。

純真であるが故に残酷かつ天真爛漫で自由であったが、教育という不可逆な圧によって秩序を得るが不自由な存在となる。

要は、平準化を目指して作られたカリキュラムにおける教育というものの功罪を描いた作品であるわけです。

 

んで、『それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ』も同じく、個人の幸せを追求するのではなく、周囲と手を取り助け合うことが幸せであるというテーマ。それ自体は道徳的であり、子供に見せる物語としては悪いものではない。

 

しかし、この映画を見て感じるのは、コミュニティからの承認を生きる意味、喜びとし、それを他者へ強制することの危うさなのですよ。

本作のエンドロールで描かれるエピローグ的な映像では、わがまま放題で孤独だったドーリィが、学校の同級生など他者と協力し一緒になってにこやかに生活する姿が見られるが、その光景が美しくもありグロテスクでもある。

一元的な理想を持ち得ない人間の居場所のなさ。排除によるユートピアの恐ろしさ。

いいことをするというのは正しい。しかし、いいことをしている人間から見ると、その正しさについてこれない他者に腹が立ってくる。

そして結果的に狭量になるという落とし穴があるから、いいことというのは怖いんだよなぁ。

 

そんな本作の世界で救いとなっているキャラクタがロールパンナちゃん。

物語の中盤、居場所がなく孤独だったドーリィが街を飛び出した先で出会うのは、お祭りの準備で賑やかな街を遠くから眺め一人佇んでいたロールパンナちゃん。

ドーリィに生きる意味を問われて「わからない」と答えるロールパンナちゃん。

アンパンマンは困っている人を助けることを生きる意味としている、そんなの嘘だよねと言うドーリィに対し、「嘘じゃない、アンパンマンはそうなんだ。でも私には出来ない」と答えるロールパンナちゃん。

ロールパンナちゃんが居なくても本作の物語は成立するはずなのに、あえて登場させ、生き方に迷っているキャラクタを存在させているというところに、制作者の優しさが垣間見える。

本作を見た子供たちの中に、このロールパンナちゃんの言葉が少しでも心に残っていると良いなぁ。

一貫した何かを心に持っている人は強いけど、迷い続けることで生まれる優しさもまた人を救う強さとなる。

 

 

最後に音楽。

Incognito - Nothing Makes Me Feel Better 

Incognitoの新しいMVが公開。

今回は日本を舞台にダンサーとしてふてこがフューチャーされたMVになっていて、とても良い。

このリリースからIncognitoの過去作をダラダラと流し続けながら、Incognitoと出会ったのは中学生の頃だった(当時大ヒットしたEverydayね)から長い付き合いだなぁとしみじみ思ってしまった。

 

Incognito - Everyday

 

長い付き合いといえば、先月から『らんま1/2』が再アニメ化されまして。

ちょい前まで『うる星やつら』がリメイクされていましたが、『らんま』はリアルタイムで見ていたこともあり私にとって一番好きな高橋留美子作品なんですよね。

そんな旧シリーズで数々あったOP・ED曲の中から一番印象的で、好きだったのがこの曲。

ぴよぴよ - 虹と太陽の丘

こちらの地方では『らんま1/2』を朝9時から放送していて、リアルタイムで見てたらコレ聴いて日曜の朝からしんみりしちゃうんですよね。

この曲がアニメシリーズ最後の曲だったということもあり、なんか強烈に覚えていて、今でも聴いてるとちょっと泣きそうになっちゃうよ。

いやぁでもリメイクされた『らんま』も面白いですね。あのラブコメのドタバタ感のベタさが白湯みたいな沁みる暖かさ。

 

 

Simle Souls - Daft Funk

最近のSimple Soulsは、新しいスタイルを模索しているのか、単純なテコ入れなのかわからんが、ちょっと今までとは違うテイストのサウンドが来てて非常に良い。

その中でもコレはやられたなぁ。体表が震えるくらいの音量で聴くと、良い気持ちになれます。とても良い気持ちに。

 

 

XG - IYKYK

どんどこリリースされるY2Kサウンド中、反則が出ましたよ。m-floのPrismをサンプリングしちゃうのは反則。イントロが入る1秒で脳みそブチ抜かれちゃうよ。

奇をてらわないベーシックなオルガンベースやビートがオールドスクールな2step。

m-flo直撃世代には懐かしく、そしてとても古臭く(悪い意味ではなく)。若い世代には新しいサウンドとしてガッツリと刺さる曲になっているのでは。

エレガントでありパワフルな楽曲。めっちゃカッコイイ。

 

 

こんな感じで今月はおしまい。

また来月。